2010年07月31日

一番酷い「映画ファン」と全てを超越した「地獄の黙示録」

久々に書いてみる。

このところDVDが叩き売りに近い。ちょっと前に出た作品、古くなった名画、誰が見てるのか不明なC級作品・・・そんな作品が千円札一枚で買えてしまうのだから驚きだ。

そういう場合、意外とどうでもよさそうな作品でさえ買ってしまう。まぁ、時間のあるときに見ればいい、そうなってしまうものだ。

とある映画監督が言ってがTVでDVDを見てる奴等が一番酷い「映画ファン」なんだそうだ。映画とは映画館に出向き上映時間は何があっても停止はせず一気に暗闇の中で、そう監督が意図したように時間が流れていくものであり、TVに向かい気ままに一時停止を入れたりお茶やビールなんかを飲んだり食ったりとまったくゾンザイに扱われて見られる事に苛立つという事である。

実際に映画館で見る映画と言えばやはり見たいと思いそれだけの手間と時間をかけて見るものであるから心構えが違うのである。さらに言えばどんな高価な機材を用意して自宅シアターにしたところで実際の劇場の足元にも及ばない、つまるところ、そういう「映画ファン」はどうでもいいのかもしれない。もっともそれを言ってしまえば元も子もないのだが家庭で見るのは単に見るだけであり映画体験とは違うものだろう。それを理解して見るしかないのだ。

「地獄の黙示録」についてとやかく言う必要は無いだろう。50分近い未公開シーンを加えた完全版が公開されたとき私は真っ先に映画館へ向かった。それこそ膨大な時間が一気に流れその映像世界とそこで行われるまさに狂気に打ちのめさたのを鮮明に覚えている。とにかく正気の沙汰では無い、あれはもう映画を超えた存在なのだと思う。

その作品をまたTVの前で一番酷い「映画ファン」として鑑賞した。案の定ビールを飲み、途中でトイレに行ったり、電話を受けたりと実際に酷い対応である。しかし、そんな見方をしたところでこの作品から受ける衝撃は変わらなかった。いや、厳密に言えば映像サイズも音量もまったく貧弱な中で見たがそこの中で行われている狂気は例えそんなサイズや音の違いすら吹き飛ばすくらいの力を持ってる。


映画は体験である。その世界観に浸るのが映画でもある。そしてあまりの狂気な世界は例えインターフェイスが貧弱であろうとも直接脳に進撃してくるのである。もはやそういう作品はこの世界にどれほどあるだろう?

CGがいくら高度化してその出来の違いを理解出来ないようになったとしてもその狂気をCGで表せるだろうか?「地獄の黙示録」に映し出された全てのものは狂気を孕んでいる。有名なヘリボーンのシーンにしろカーツ大佐の佇まいにしろそれはすべて狂気に他ならない。映画そのものが狂気なのだから。

本編以上にその狂気をフィルムに収めたメイキング、「ハート・オブ・ダークネス」を見てみればいい。あの映画は映画そのものも、演者も、監督も、スタッフも、その全てが狂気の中で暗黒に向かって突き進んだ様子を克明に記録している。恐ろしい限りだ。

狂気を持つ人間が作り上げた狂気の世界、それが「地獄の黙示録」である。それはどんな酷い再生環境でも伝わる真の狂気に他ならない。

posted by 網加 at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月26日

結局のところ

最近ちょくちょく見てるのがYahooの知恵袋。ここに洋楽のカテゴリーもあっていろんな質問が書かれている。

何気なく見ていると「洋楽を聴きたいです、お薦めは何ですか?」というような質問が繰り返し出て来ては回答者が自分の趣味やら名盤やらを薦めていく。それを眺めているとなんだか本当に虚しさを覚えてしまう。

なんというのか、質問する側もお薦めなんてこんなところで聞いてどうするのか?大体質問者の好みも人柄も分からんのに薦める音楽なんて皆目検討が付かない。聴きたいならいくらでも無料で聴けるネットラジオだのなんだのかんだのあるのだから質問の前に聴けばいい。

ついでに「XXXに似たようなバンド」とか言うけどそんなのはどうでもいいんじゃないかと思う。似てるかどうかなんて主観的なものであり同じような雰囲気の曲なんか聴いたって面白くもなんともないだろうと言いたくなる。

音楽は唯一無二じゃない、すべてのパターンは出尽くしている。質問してくる側はどうせアーティストが好きなんじゃない、単なる曲が好きなだけで実際はどでもいい上っ面しか見てないのだ。アーティストを好きになるというのはそのアーティスト自体を好きにならねば意味が無い。だから簡単にこのアーティストが好きだの嫌いだの言うのだ。

薦める方だって好みも何も分からん面識の無い他人に曲なんか薦められるかとか思わないらしい。ただ自分の趣味を押し付けておいてそれを否定されればムキになるのはどこでも一緒、まったく面白みに欠ける。

と、久々に書いてみるがそれがやっぱりグチだったりする。グチるのだから私ももういい年齢なんだね。
posted by 網加 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 言いたい放題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

Die Mensch Maschine

最近一番聴いているのがクラフトワークである。テクノの原点というような表現で表される彼らだが聴けば聴くほど電子音が心地よく響いてくる。そしてその音以上に素晴らしいのはそのビジュアルと戦略ではないか。

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有名過ぎる「人間解体」の赤いジャケットを見るたびそう感じてしまう。

彼らの結成は60年代にまで遡る。実験的な音楽ユニットが徐々に変化しユーモアと毒を持って流行の音楽シーンとはまったくかけ離れた世界にまで辿り着いた。

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近年発表されたライブDVD、「minimum - maximum」はそうした彼らのビジュアルを堪能出来る作品である。その中でも「Die Mensch Maschine」の素晴らしさはどうだ!赤と黒というコントラストに白や赤の文字がシンプルにビートに乗って表示されるあの映像は彼らならではである。

ぜひ一度は生で体験したいものだ。

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タグ:Kraftwerk
posted by 網加 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Techno | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月31日

後追いの功罪

この間の事であるがちょっとした音楽談義になる。相手はまあ私よりもずっと若い。彼はそれはそれは饒舌に語る語る・・・。それ自体は構わないのだが結局そこで語られているのは後追いして聴いた音楽へのありきたりの回答でしかない。

後追い、それは同年代を生きていないのであるから仕方の無い事であるが後追いして聴くとどうしても先入観と多くの評論家達が繰り広げてきたものを先に受け取ってしまう。何事でもそうであるがある程度時間が経てば評価は一定となり定説となりあたかもそれが正しいような印象さえ与えてしまうのである。

確かに時間が経つことで客観的に評価することも出来るだろう。多くの人の意見をまとめつつある程度の落とし前が付けられる。つまり固定された評価という事である。

これは一種のモノサシでしかない。

大多数がそういう意見だからという先入観で聴けば何でもそう聴こえてしまうのだ。やれこのときのメンバーがあーでこーで、この曲が誰々に影響を与えてこうなったの何だの・・・下らない。バカバカしい。

受け売りをさも当然のように使いまわしているだけではないか?もっと自分の頭で考えてはどうなのか?

後追い故に定められた評価を覆すことが出来ないような聴き方しか出来ないのではまるで意味が無い。そんなにマスコミに踊らされて評論家の言葉を鵜呑みにするのだろうか?

私も後追いのアーティスト達にはどうしてもそういう接し方をしている。リアルタイムで経験していないというのはどうしても過剰に流れ出る情報に振り回されてしまう。前記の彼も結局はそれを自覚していないばかりかそれをさも当然のように語っている。

そしてリアルタイムで聴いたものはどうしてもうまく言葉に出来ないものが多い。何しろ基準というものが無いのだ。自分はこう思うが他の人はどう思っているのだろうか?雑誌の評価ではこれこれだったが自分はそう思えないしこの評価がいいとも悪いとも判断出来ない・・・自分の意見は後からコソッと出せるようにしまっておきまわりの風評を気にする・・・。今でもリアルタイムの作品はそういう状態が付きまとう。ならば評価の定まった旧作をさも自分の知識であるかのように語った方が気持ちがいい、確かに判る行動ではある。

だからと言ってそれが全てではないのだ。

評価は絶対的なものではない。だから誰かが言ったことも自分の感じたことも毎回違っていていいのだ。評論家達の言葉に振り回されることも必要ない、バカが勝手に言う感想も放っておけばよい、今の自分がどう感じるかなのだ。下らない知識を溜め込むくらいならもっと何度も聴いて聴いて聴いてそして判断すべきなのだ。

知識があるから偉いんじゃない、早く気が付かないとバカを見るだけだ。

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2008年07月15日

未だにわけのわからんジャンルにこだわる者たち

相変わらずというこのジャンル至上主義、どこまでそんな下らない事を言い続けるのか?疑問を通り超えて呆れてしまう。

そもそもそういうわけのわからないジャンルを使いたがるのが自称音楽好きという連中だから困ってしまう。事細かくジャンルわけしないと気が済まないらしい。

音楽に対してそんな簡単に分けることが出来るだろうか?これはブリッドポップ、これはテクノ、これはパンク、それはロックだよ・・・本当に区別が出来てるのか?いったいぜんたいどうやって区別するんだろうか?こんなフレーズがあればこれとかこのキーを使うからこっちとか・・・

理論的に解釈できる余地があるならいざ知らず、そんなものすらない音楽に対して自己満足とメディアから植えつけられた言葉を使うことでいい気になっているだけではないか?

私の好きなバンド、The Jesus & Mary Chainの話をしていたら「ああ、シューゲイザーですね」などと口を挟む。それは何と聞けば「靴の先を見て演奏するからですよ」だと・・・・それが一定の音楽を示す言葉になる、なってしまう、してしまうという。意味がわからない。靴の先を見てりゃみんなシューゲイザーなのか?

もっとも多くを区別するにはそういう言葉が必要なのは理解している。言葉を与えられる事で区別され分類され偏見にさらされる。これは主にマーケットからの要望ではないか。こうやって区別すれば売りやすいよって感じにしか思えない。

無論伝えることの困難さはそこにある。パンクだからとかノイズだからと言えば大まかに通ってしまうアバウトさ。しかしそれにはそれぞれが同じ共通点を持っていなければならない。もっともそんな事が出来るはずは無い。すべては適当でしかないのだから。共通の言葉を持たねば少なくとも会話は出来ないのだ。

ジャンルが好きなものはいつまでもそれにこだわっている。それしか知らない。どうでもいいがそれを振り回されても困る。だからそんなジャンルの話はしない。愚かさを示すだけだから。ジャンルなどいらない、一組のアーティストをずっと追い続けた方がいい、深く深く聞き込んでこそその面白さがある。それを似たジャンルだからと言って浮気するから何も見えてこない。裏切られたとか馬鹿な事を言うだけのファンに嫌気がさす。
posted by 網加 at 11:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 言いたい放題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする