このところDVDが叩き売りに近い。ちょっと前に出た作品、古くなった名画、誰が見てるのか不明なC級作品・・・そんな作品が千円札一枚で買えてしまうのだから驚きだ。
そういう場合、意外とどうでもよさそうな作品でさえ買ってしまう。まぁ、時間のあるときに見ればいい、そうなってしまうものだ。
とある映画監督が言ってがTVでDVDを見てる奴等が一番酷い「映画ファン」なんだそうだ。映画とは映画館に出向き上映時間は何があっても停止はせず一気に暗闇の中で、そう監督が意図したように時間が流れていくものであり、TVに向かい気ままに一時停止を入れたりお茶やビールなんかを飲んだり食ったりとまったくゾンザイに扱われて見られる事に苛立つという事である。
実際に映画館で見る映画と言えばやはり見たいと思いそれだけの手間と時間をかけて見るものであるから心構えが違うのである。さらに言えばどんな高価な機材を用意して自宅シアターにしたところで実際の劇場の足元にも及ばない、つまるところ、そういう「映画ファン」はどうでもいいのかもしれない。もっともそれを言ってしまえば元も子もないのだが家庭で見るのは単に見るだけであり映画体験とは違うものだろう。それを理解して見るしかないのだ。
「地獄の黙示録」についてとやかく言う必要は無いだろう。50分近い未公開シーンを加えた完全版が公開されたとき私は真っ先に映画館へ向かった。それこそ膨大な時間が一気に流れその映像世界とそこで行われるまさに狂気に打ちのめさたのを鮮明に覚えている。とにかく正気の沙汰では無い、あれはもう映画を超えた存在なのだと思う。
その作品をまたTVの前で一番酷い「映画ファン」として鑑賞した。案の定ビールを飲み、途中でトイレに行ったり、電話を受けたりと実際に酷い対応である。しかし、そんな見方をしたところでこの作品から受ける衝撃は変わらなかった。いや、厳密に言えば映像サイズも音量もまったく貧弱な中で見たがそこの中で行われている狂気は例えそんなサイズや音の違いすら吹き飛ばすくらいの力を持ってる。
映画は体験である。その世界観に浸るのが映画でもある。そしてあまりの狂気な世界は例えインターフェイスが貧弱であろうとも直接脳に進撃してくるのである。もはやそういう作品はこの世界にどれほどあるだろう?
CGがいくら高度化してその出来の違いを理解出来ないようになったとしてもその狂気をCGで表せるだろうか?「地獄の黙示録」に映し出された全てのものは狂気を孕んでいる。有名なヘリボーンのシーンにしろカーツ大佐の佇まいにしろそれはすべて狂気に他ならない。映画そのものが狂気なのだから。
本編以上にその狂気をフィルムに収めたメイキング、「ハート・オブ・ダークネス」を見てみればいい。あの映画は映画そのものも、演者も、監督も、スタッフも、その全てが狂気の中で暗黒に向かって突き進んだ様子を克明に記録している。恐ろしい限りだ。
狂気を持つ人間が作り上げた狂気の世界、それが「地獄の黙示録」である。それはどんな酷い再生環境でも伝わる真の狂気に他ならない。
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